“PRO VONO AEQUNOROSA”
その精神は
繰り返し咀嚼され、
鍛えられてきました。
「すべては患者さん・利用者さんのために」。
脳神経外科の専門病院をルーツとする南東北グループは、脳梗塞・脳内出血・くも膜下出血など救急医療・急性期医療を要する患者さんと向き合い、その命を救い、QOLを向上させるための医療を希求してきました。
そんな私たちには、グループ発足当時から変わることなく、すべての施設、すべてのスタッフの気持ちをひとつにする言葉があります。とてもシンプルで、医療・福祉に従事する者として当たり前のことですが、「すべては患者さん・利用者さんのために」。
歩んできた道に底流するこの初心をグループ理念とし、私たちはさらに強く結束し、医療の未来を切り拓いていきます。
民間の力で最高の医療を
2010年、江古田の森に続く中野区の拠点として、現在の総合東京病院(東京都中野区)を開院。2012年、新百合ヶ丘総合病院(神奈川県川崎市)を開院。両院はそれぞれ、リハビリテーション医療と介護・福祉分野がスムーズに連携する事業モデルにより、「住み慣れた地域で、生涯いきいき暮らす」という現代社会の課題に取り組んでいます。
グループ創設の地、福島県郡山市では最先端の医療への新たな取り組みとして、2014年に南東北BNCT研究センターを開設。ホウ素中性子捕捉療法による脳腫瘍・頭頸部がんの治験がスタートしました。
2019年4月、東京リハビリテーションセンター世田谷を開設。
2020年4月、新百合ヶ丘総合病院に新棟オープン。
介護保険が制度化された2000年以降は、高齢化への対応がますます社会の急務となり、グループとして90年代から取り組んでいた介護・福祉分野を強化するとともに、先進医療や予防医療にもリソースを意欲的に投入していきました。
2004年には、PET-CT2台、PET3台、ガンマナイフ1台を総合南東北病院(福島県郡山市)に導入。2006年には東京駅駅前に、ハイエンド医療へのニーズにも対応する東京クリニック(東京都千代田区)。翌2007年に東京総合保健福祉センター江古田の森(東京都中野区)と、グループの経験値を投入した2拠点が相次いで東京に誕生。
さらに2008年には、南東北がん陽子線治療センター(福島県郡山市)を開設。「外来通院でがんを治す」を掲げた先進医療への取り組みがスタートしました。
「救急車は断らない」の信念のもと、グループのメインテーマだった脳神経外科分野の急性期医療を追求していく中で、回復期リハビリテーションや在宅介護と一対の体制が構想され、介護・福祉の関連施設を福島県・青森県・宮城県に整備していきました。医療と福祉の連携を模索したこの時期の経験が、その後の首都圏での事業展開のベースにもなりました。
1981年12月1日、総合南東北病院の前身である南東北脳神経外科病院が、渡邉一夫理事長の個人病院として誕生。小雪の舞う中で開院式が行われました。診療科目は、脳神経外科、神経内科、外科、内科の4科。ベッド数60床からのスタートでした。翌1982年に、リハビリ美保野病院(青森県八戸市)、1985年に南東北病院(宮城県岩沼市)を開院し、グループとしての原型ができていきました。
1984年には、発見が難しく、世界でも成功例がなかった脳動脈奇形の手術に成功。一般財団法人の認可も取得し、脳神経外科の専門病院としての知名度も高まっていきました。1989年に増床に踏み切り、以降は断続的に病床数、また関連施設開設を続けています。